抽象的な話は具体的な話が無いと成立しないんじゃないか、という抽象的な話
話が抽象的になってくるとなんでも正しそうに見えてしまう
うまいたとえが浮かばないが、たとえば
- 仕事した後は十分に休んだほうがいいよ
- 仕事した後にも将来に向けて勉強したほうがいいよ
みたいな話を聞いた時に、どっちも正しそうに見えてしまう問題がある気がしている。
この例だとひとつひとつ別々にみるとどっちも正しそうに見えるんだけど、両立するのは難しそうに見える。
でも自分に対してどっちを適用したらいいのかよくわからない。なぜなら両方とも自分にとっては同じレベルで大事そうに見えてしまうから。
多分両者とも掘り下げが足りてないんだと思う。もしかしたら
- (普段からとても気を使う仕事で、なによりも気力がある状態でいることが大事だから)仕事した後は十分に休んだほうがいいよ
- (必要になった時に勉強し始めると間に合わないような知識を使う仕事だから、今時間があるうちに)仕事した後にも将来に向けて勉強したほうがいいよ
としてあげると、さっきよりは自分にとってどっちが大事なのかより評価しやすくなったかもしれない。
おそらく、あるやったほうがいいことを示すための隠れ条件みたいなことがたくさんあるんだけど、それが無くても意見は正しそうに見えてしまう。そこには気をつけたほうがいいと思う。
現実はよりケースバイケースなはずで、もしかしたら隠れている条件も含めて正しそうな意見を判断していけるような知識を集めることが大切なのかもしれない。
こういったことを最近よく考えるけど、なかなかうまく説明できなくてもやもやしている。